【全学年】元PL学園中村順司監督にご指導いただきました|2024.6.2(日)
ご縁あり、元PL学園中村順司監督にご指導いただきました!
PL学園を春夏あわせて16回甲子園に導き、清原和博選手や桑田真澄選手等を育てられた中村監督。子どもたちはもちろんのこと、指導者、保護者にとっても忘れなれないとても貴重な時間となりました。
選手コメント✨
⚾️捕球の仕方をジャンケンの✊✌️✋で例えたり、バッティングを太鼓の達人に例えたりと、僕たちがわかりやすいように教えていただきました。教えていただいたことを活かしていきたいです。
⚾️基本をとてもわかりやすく教えてもらえて、改めて基本を大事に取り組まないといけないとという事を感じました。日時生活でやっている事でも野球に結びつく事があるから、意識しながらやっていこうと思いました。
⚾️体の使い方等を詳しく教えてもらいました。それを練習で活かして、試合で活躍できるようにしたいです。
⚾️監督は厳しいイメージだけど、優しく分かりやすく教えてくれて嬉しかったです。
⚾️僕はキャッチャーでのボールの取り方を教えてもらいました。これからももっと練習して、PL学園のように強いチームになります。応援よろしくお願いします。
⚾️教えてもらってキャッチボールがうまくできるようになった。
⚾️色々勉強になった。教えてもらったことをしていきたい。
⚾️バットの持ち方、振り方、グローブでボールの取り方、わかりやすく教えてもらいました!キャッチャーでの投げ方や、構え方のポイントも教えてもらい嬉しかったです。いつかまた会えたら、東少で教えていただいた事を話したいです。
保護者コメント✨
⚾️子供にも大人にもわかりやすく、聞き飽きない話し方や構成で流石だなぁと感じました。
⚾️高校野球界のレジェンドと言われている中村元監督さんが来ていただき、直接小学生たちにわかりやすい楽しい指導をしてくださりました。また、コーチ陣の相談や質問にも応えてくださったりプロ野球で活躍されている選手の方々のお話を聴かせていただき、素晴らしい方だなぁと感激いたしました!
指導者コメント✨
⚾️日常生活における動作が野球における理にかなった動きに繋がっているという説明がわかりやすく、今後の指導方法の参考になりました。
⚾️大人世代では偉大すぎる中村監督が来られるという事で、最初とても緊張しました。そんな中、とても親しみやすく、子どもたちに丁寧にわかりやすく教えてくださりました。キャッチボールは失敗しないように練習しよう。バッティングはしっかり強く振れるように素振りを頑張ろう。トスバッティングは太鼓を叩くようにしっかりと打ち返そうと教えてくださりました。
指導者には、基礎を一つ一つ丁寧にわかりやすく教えてくださったり、教え方のアドバイスのほか、野球は人生、人間関係の縮図みたいなもので、目標に向けて協力しあうことの重要性も教えて下さりました。
🎌他、たくさんのご指導の中受け取った様々な想いはそれぞれ各々で大切にさせていただきます🎌
お忙しい中、東小グランドに足を運んでいただき感謝申し上げます。
✨中村順司氏✨1946年8月5日生神奈川県在住 福岡県中間市出身 キャタピラー三菱、PL学園高等学校、名古屋商科大学を指導。
PL学園高等学校在学中は、遊撃手として活躍。1963年、2年生の時に春の選抜で甲子園出場。名古屋商科大学へ進学後1966年には春季リーグにてベストナイン(遊撃手)に選出される。卒業後は社会人野球キャタピラー三菱にて選手、コーチを経験し、のち1976年12月に母校PL学園のコーチに就任。1980年8月5日に監督就任。翌年1981年春には吉村禎章選手を擁しPL学園を全国優勝させ、全国に名を知らしめることになる。以後、1982年の春連覇、1983年夏優勝を経て1984年夏の決勝戦で敗れるまで、甲子園20連勝という前人未到の記録を残す。その後も1985年夏優勝、1987年の春夏連覇を含め春夏合計6回優勝、勝率.853は監督として1位、甲子園通算58勝(10敗)は高嶋仁氏、西谷浩一氏に次いで3位の記録である。
清原和博選手、桑田真澄選手のKKコンビを始め、立浪和義選手、宮本慎也選手、松井稼頭央選手、サブロー(大村三郎)選手、福留孝介選手らを代表とする数々の超高校級の選手に育て上げた名将。監督就任後すべての年度の卒業生を少なくとも1人以上をプロに送り出し、最終的には教え子41名がプロ野球選手に(名球会に5名、現在のプロ野球監督.コーチに11名)
1998年2月1日、春の選抜大会を最後に勇退することを表明。同大会の準決勝.対横浜高校戦が高校野球指導者として最後の試合となった。同年11月16日に名古屋商科大学硬式野球部監督への就任が発表された。2015年11月25日、同年限りで監督を退任し翌年4月1日付で総監督に就任することが発表される。そして2018年12月1日、高齢であることと後進に道を譲ることを理由に同年12月限りをもって名古屋商科大学硬式野球部総監督を退任されることとなった。
PL学園監督就任18年間 甲子園での成績
春:出場10回 31勝7敗 優勝3回(1981.1982.1987)準優勝1回(1984)
夏:出場6回 27勝3敗 優勝3回(1983.1985.1987)準優勝1回(1984)
通算成績:出場16回 58勝10敗 優勝6回 準優勝2回
部員保護者の協力のもとプロフィール作成